佐久間ダムは田子倉ダム（只見川）・御母衣ダム（庄川）と共に電源開発発足当初から主要な計画として進められた。
絵画では小山敬三が『佐久間ダム』を発表し、利根山光人は映画『佐久間ダム』の影響を受け実際にダム工事現場の飯場に住み込んで絵を描いている 。
一方、新豊根発電所は佐久間ダム建設によって水没した旧豊根発電所の代替施設として建設されたが、建設当時は火力発電や原子力発電が主体となっており、これらとの連携を図り易い揚水発電が注目されていた時期であった。
治水目的を有するダムは支流三峰川に美和ダムが1959年（昭和34年）完成したのが最初であり、その後も支流を中心に建設省または長野県により多目的ダムが建設されたが、天竜川本流には治水目的を有するダムが今もって建設されていない。
このため天竜川中流部に大規模なダムを建設する必要が生まれ、白羽の矢が立ったのが現在のダム地点である佐久間地点である。
